【なぜ?】砂漠の真ん中に取り残された幽霊船【毒の砂漠】

砂漠の真っただ中に放置された、何隻もの錆びた船。海はおろか、スクラップとして運ばれてきたような道路もない。見渡す限りあるのは、乾いた砂と草だけだ。

BBC】カザフスタンとウズベキスタンの国境付近、中央アジアの草原は、かつてソビエト連邦の一部だった。たくさんの錆びて朽ち果てた漁船が置き去りにされているのは、かつて海岸だった場所だ。ここに世界で四番目に大きな内海といわれていたアラル海があったのだ。しかし今では、水はここより何10キロも先にあり、大部分が塩辛く汚染された不毛の地に変わり果て、“アラルカム砂漠”と呼ばれている。

アラル海に水があった頃、このあたりは漁業が盛んで、Moynaq の町は大規模な出漁船団の母港となり、魚の缶詰工場もあった。しかし、ソビエト政府がウズベキスタンの綿花畑に水をひくため、水源となっていた川の流れを変えてしまった。その結果、アラル海に流れこむ水が不足し、1960年代には、すっかり干上がって縮小してしまったのだ。

砂漠に散らばる貝殻が、かつてここが海だったことを物語っている。

水が蒸発していくにつれ、塩分濃度が上がり、農地から流れこんでいた肥料や農薬の濃度も上がって、魚は死に絶えた。

2015年、元漁師のKhojabayは、BBCの取材に答え、Moynaqの黄金時代を振り返った。「漁師も、コックも、水兵も、技師も、みんないた。こういう大きな船は、海が干上がりはじめたとき、水位の浅くなった波止場には入れなかったんだ。一隻、また一隻と、泥の中に座礁していくほかなかった。それから風に吹かれてるうちに、泥は砂になった。今見てるみたいなね」

Moynaq や Aralskのような町は、全盛期にはソビエト連邦の漁獲高の6分の1を占めたが、住人の多くは職を失ってよそに移った。

海はもはや思い出となり、港だった場所を牛が闊歩する。

また、これらの町は、アラルカム砂漠からまきあげられる有毒な砂塵が原因と思われる病にも蝕まれている。

廃墟で遊ぶ子供たち。周辺にある港町や缶詰工場の跡地も、廃墟のまま打ち捨てられている。

たとえ海が消えても、毒が吹き荒れても、子供は遊ぶ。これはアラル海だけの話だが、もし世界中の海が消えて、人類のほとんどが滅亡したとしても、生き残った人たちは普通に笑ったりしながら、静かに、少しずつ滅んでいくのかもしれない。

だがアラル海にはまだ、再生の希望も残されている。川の流れを元通りにすることが許可されれば、海は再び戻ってくるはずだ、と記事は伝えている。

写真素材/shutterstock

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