【狂気】精神病院で2万5000ページにもおよぶ自分の王国の物語を描き続けた男【アドルフ・ヴェルフリ】

ヴェルフリが生活した精神病院の部屋の再現。手前にあるのは本の山。1972年、〈ドクメンタ5〉における「精神病患者の造形」セクション展示風景。

1895年スイス、ベルン近郊のヴァルダウ精神病院に、一人の男が収監された。名前は、アドルフ・ヴェルフリ。統合失調症と診断された後、病院内で20年以上に渡って、自分の空想の王国を題材にした絵や文章を描きつづけ、やがて自らの創造した世界の王「聖アドルフ2世」と名乗るようになった。

ヴェルフリは芸術についてアカデミックな教育は受けておらず、収監された当初の4年間は、絵を描く習慣すらなかった。ほかの患者と暴力沙汰のトラブルばかり起こしていたが、主治医が絵を描くようにすすめたところ、水を得た魚のように絵に没頭していったという。

『リーゼリ〔リーゼちゃん〕・ビエリ! 死』1904年。幻覚の中に、リーゼリという名の女性が現れることがあった。

(拡大)はじめは新聞用紙に鉛筆だったので、モノクロだった。顔はヴェルフリ本人を、線は楽譜の五線譜をあらわしているという。

はじめ、主治医はヴェルフリが新聞用紙に鉛筆で描いた絵を、とるにたらないものだと思っていた。

「1902年10月19日。夏の間中ずっと熱心に絵を描き、毎週鉛筆を消費した。彼のお絵かきは全くくだらない。楽譜、言葉、人間が無秩序に入り乱れている」(『患者記録』1985年,『アドルフ・ヴェルフリ [二萬五千頁の王国]』から)

『ウォルドルフ=アストーリア=ホテル』1905年

しかし、既存の芸術の型にはまらない奇妙な絵には、見る者の目を惹きつける独特の魅力がある。

「1905年3月28日。彼の絵はいつも同じ。空想の無秩序。驚くべきは直線や単純なカーブを、道具を使わずに描く技能だ」(『患者記録』,以下同)

『デンマークの島 グリーンランドの南=端』1910年色鉛筆を使いはじめ、作品に色がついた。(『揺りかごから墓場まで』第4冊)

やがて、まわりの人間もヴェルフリの絵に興味を持ちはじめ、同時代に活躍していたジャン・デビュッフェなどの画家たちが彼の才能を世間に紹介していくと、その非凡な作品はたちまち人々の注目を集めることになった。

狂人の描く絵、などというものがまともに評価されることなどなかった時代、アドルフ・ヴェルフリの生き様と作品は、今日では“アウトサイダー・アート”と呼ばれるジャンルが生まれるきっかけとなった。

ドゥフィ少年の冒険『揺りかごから墓場まで』

本の状態の作品。

もともと絵を描いていたわけでもないヴェルフリを、それほどまでに膨大な創作へと駆り立てたものは何なのか?

「彼の使命は、人生と世界を新たに作り上げることだったのです」(ベルン美術館 ヒラー・シュタトレの序文,以下同)

ヴェルフリは7人兄弟の末っ子として、アルコール中毒の父親と、病弱な母親のもとに生まれ、8歳のころには貧しさのために奉公に出された。母はその後すぐに亡くなり、奉公先では虐待も受けている。『揺りかごから墓場まで』では、実際には悲惨だったヴェルフリの幼少時代が、幸せでワクワクするような冒険譚に書きかえられている。

『ネゲルハル〔黒人の響き〕』1911年(『揺りかごから墓場まで』第4冊)

「大西洋横断。
ニューヨークヘの旅はすこぶる迅速に進んで、最も素晴らしい天候にも恵まれました。私たちがたどった工程は、ブザンソン、パリ、ル・アーブル、ロンドン、そしてまっすぐ米国の首都へ、すなわちニューヨークにいたるというもので、私たちは旅行の間ずっと、健康で上機嫌でした。音楽隊の22名をくだらないメンバーは、スイスのすべての州からの混成によるもので、彼らもわれら一団に加わって、スイス連邦の旗を持ち、ベルン、バーゼル、そしてロンドンへという旅の途上において簡単な練習を行い、私たちはそこロンドンで、大変な賞賛に値するロンドンの住人もそうしたように、最も気分を高揚させる音楽の演奏を楽しみました。もし、ハイドパーク、テムズ川の岸壁、そしてほかの遊歩道が話すことができたならば、それらはスイスの音楽家たちによる勇敢なパフォーマンスについて証言することでしょう。私たちはこの街でまるまる3週間過ごし、確実に50,000,000フラン以上が高潔なるスイスの財源へといちどきに流れこみました。私はまだ1歳の子どもでおむつをしていました。けれども、つねに両親や兄弟によって愛情を込めて世話されていました。さらにまた:ロンドンでの短い滞在のあと、この街で私は本当に愉快な時間を何度も味わったのですが、それから時間という観点に従えば最良の輸送手段の一つである蒸気[船]のスワッタータウンが、私たちを13日でニューヨークへと連れて行ってくれました。スイス人による音楽の演奏はこの街の港の岸壁でも最高の成功によって栄誉を得ました。船による横断旅行の全工程においてそうであったように。」(『揺りかごから墓場まで』第1冊,以下同)

『食料品=店. 魚の餌付け』1911年(『揺りかごから墓場まで』第4冊)

主人公の少年ドゥフィ(アドルフの愛称)が、さまざまな困難を乗り越えながら、愛する家族とともに、世界中を旅していく。
ヴェルフリにとっては、ここに書かれている世界こそ、本当の世界であり、本物の人生なのだ。

『中国の巨大=都市 ロベス・ピエール』1910年(『揺りかごから墓場まで』第5冊)

『氷湖の=ハル〔響き〕. 巨大=都市』1911年(『揺りかごから墓場まで』第4冊)

『短い自伝』

だが病院に入った当初、31歳のヴェルフリは医師に強制されて、──医者や他人が言うところの──現実世界の自分の半生、について『短い自伝』を書かされている。それをまとめるとこのような内容だ。

私はとても貧しい両親のもと、(スイス北西部)ニュヒテルンという村で生まれた。父は石切工をしていて、わずかな稼ぎも酒に使い切ってしまうような人間で、家族をかえりみずにあちこちの地方を転々とした。母は7人の子供を生んだが、病弱で頼れる親戚もなく、貧困のすえに、子供たちの養育を地方行政区の里子奉公制度に委ねざるをえなかった。1872年、11月に母の故郷の行政区に送られて、その後すぐ、1月2日に母は亡くなった。

私はオーベライの貧しい大工のもとで一年間働くことになった。(省略) そこの夫婦は冬になるとよく酒盛りをし、私は酒場までブランデーを買いに行かされた。ある夜、家に帰る途中で石につまづいて転び、酒瓶を粉々に割ってしまった。家に帰って事情を説明すると、主人は私のズボンを下ろし、血が足をつたい落ちるまでカンバの枝の鞭で裸の背中からお尻にかけて打ち続けた。…

ヴェルフリは農場など他の里親のもとをたらい回しにされるが、たいていは朝から晩まで労働させられ、体罰を受け、辛い日々を送った。その後、自立して農場や工事現場などで働くようになり、兵役にもつく。何人かの女性と恋愛関係になり、心の平安をつかみかけるが、女性の親から反対されるなどして破局してしまう。

貧困と孤独にあえぎながら、仕事と住処を転々とし、ヴェルフリの精神は荒廃していく。1890年8月、26歳のヴェルフリは、ブレムガルテンの森で14歳の少女に性的暴行未遂を犯して逃亡。たて続けに、クライネ・シャンツェの丘でも同じことをして逮捕されると、刑務所に2年服役した。そこでも、些細なことで熊手で頭を殴られ、独房で食事を与えられない、などの虐待を受けている。

出所後は墓堀りの仕事などをするが、その日の寝食をなんとかするので精一杯で、あいかわらず一文無しのままだった。『短い自伝』は、ヴェルフリがかつてブレムガルテンの森で暴行未遂を犯した女性と対面し、許しを乞うシーンで終わっている。

ヴェルフリはその後、女児への性的虐待未遂で再び逮捕された。統合失調症と診断されてヴァルダウ精神病院に送られると、二度と、そこを退院することはなかった。

自伝の結びには、こう書かれている。

「キリストの美徳と正義が何たるかをよく知らないお上品な紳士淑女の皆さん、下層階級の人々の落ちくぼんだ、深い目を見よ。彼らの心に重くのしかかる悲しみと苦しみがそこにはっきりと見えるだろう。朝、洗面台の鏡に、悲嘆に暮れた殉教者のような顔を映す者がすべて酔っ払いというわけではない。いや、それとは逆に、彼らの苦悩の理由は他にあるのだ。近き友も遠き友も、あなた方の中に罪なき人があるというなら私のもとに連れて来なさい。哀れみと慈悲を懇願して見せよう」(『短い自伝』1895年,以下同)

全宇宙を征服する夢『地理と代数の書』

『パリの=美術=展覧会にて』1915年。雑誌や広告からの切り抜きもよく使われた。(『地理と代数の書』第13冊)

一作目の旅行記『揺りかごから墓場まで』が子供時代を描いた過去の話なら、二作目の『地理と代数の書』では、未来が語られる。1912年、ヴェルフリは、自分の死後いかにして「聖アドルフ巨大創造物」を作りあげるのかを、おいのルドルフに説く、という形で二作目の執筆にとりかかる。「聖アドルフ資本財産」によって地球の全土を買い上げ、都市を築き、海は「聖アドルフ洋」と改め、さらには「巨大透明輸送機」に乗って宇宙へと飛び出す。

『小鳥=揺りかご. 田舎の=警察官. 聖アドルフⅡ世. , 1866年, 不幸な災=難』1916年(『地理と代数の書』第13冊)

「さらに別の、超すばらしく、超優雅で、超価値のある発明もなされた。
その名も187番、全能の動力を備えた聖アドルフ・オルガンである。」(『地理の書』第15冊 1917年,以下同)

暗い現実にとってかわる、その壮大なスケールの誇大妄想ぶりは、痛快ですらある。
そして1916年7月23日、物語はいよいよクライマックスを迎え、ヴェルフリは自らを「聖アドルフ2世」と名乗るようになる。

「フォーゲリ」(ヴェルフリの言葉)という鳥のようなものは、作品の中のあらゆる隙間に変幻自在に登場する。語源は(vögeln 性欲)とも(Vorgel 鳥)ともいわれ、守護霊のようなものともいわれている。

『全能者=神聖なるサンタ=マリア=ロック〔ロープ〕にとまる鳥』1914年(『地理と代数の書』第12冊)

巨大創造物を祝福して「聖アドルフ・オルガン」が奏でられ、無限に増えつづける「資本財産の利子」の計算がひたすらつづく。その額は天文学的な規模に達し、新たな数の単位まで生み出す。

その最大の単位は…

『エン湖での開戦. 北アメリカ』1911年(『揺りかごから墓場まで』第4冊)

「ツォルン(怒り)」だ。

「ごきげんよう、紳士、淑女のみなさん:?
私に、何を、お望みかな?
私は飼いならされてはおりませんぞ:
野生動物というわけでもありませんがね。
署名、アドルフ・ヴェルフリ、ベルン」

(アドルフ・ヴェルフリ『揺りかごから墓場まで』第1冊,以下同)

現実逃避、と言われようと、「精神病院から出ることもままならない患者」よりも「世界の支配者、聖アドルフ2世」のほうが、見る人の好奇心をそそるし、本人も楽しいだろう、ということは否定できない。

ヴェルフリの作品は現在、スイスを代表する画家の作品として多くの人々に受け入れられている。スイス連邦鉄道にはヴェルフリの名を冠した車両があり、「ツォルン(怒り)」と名づけた自家製ロケットを打ち上げたロックな男性までいる。

ヴェルフリほど彼方に飛んでいってしまったら生活に支障がでるが、だれでも心の片隅に、自分の王国をもつ自由はある。

参考文献
『アドルフ・ヴェルフリ [二萬五千頁の王国]』2016年