
Source: NDTV
【NDTV】2017年5月、インド北部、ウッタル・プラデーシュ州にて、“牛のための救急車”が活動を開始した。牛はヒンドゥー教徒にとって神聖な生き物であり、田舎だけでなく、都会のど真ん中でも、野良牛が悠々と闊歩しているのは普通の光景である。

Source: Wikimedia
そんな牛たちが事故にあったり、病気になったりしたとき、ラクナウにある牛の救急サービスに電話すれば、すぐに救急隊員たちが無償で駆けつけてくれる。

サイレンを鳴らして駆けつけた救急隊員によって、脱水症の診断を受け、手厚いケアを受ける生後一ヵ月の仔牛。(牛を非ヒンドゥー教徒による屠殺の危険から守るシェルターである gau shalaにて)Source: NDTV

仔牛の飼い主で、酪農業をしている Ram Dinさん(70)は、仔牛は助からないかもしれないと半ばあきらめていた。だが、こうして救急車がやってきて仔牛が治療を受け、「とてもいいことだ」と喜んでいる。Source: NDTV
…と、これだけなら、動物愛護の心温まるニュースなのだが、インドで最も人口の多いウッタル・プラデーシュ州では、人間のための緊急車両の不足が深刻な問題になっている。

Source: NDTV
牛が丁重に担架で運ばれていく一方、同じ州に住む Udayveerさんは、病院で亡くなった15歳の息子を、肩に担いで運ばなければなかった。
病院は、貧しい労働者である父親に対して、遺体を自宅まで運ぶ交通手段を提供しなかったうえに、担架を貸し出してスタッフに手伝わせることすらしなかった。そのため父親は、自分で手配したバイクで遺体を運ぶため、病院から自力で担ぎ出さなければならなかったのだ。
通行人の一人がこの光景を携帯で撮影すると、すぐに痛ましいニュースとして報じられたが、人通りのある白昼の街中を、とくに混乱もなく、寝た子を抱きかかえるように、ごく普通に歩いていく姿がショッキングだ。
というのも、インドじゅうで、似たようなケースが日常化しているからだ。

Source: NDTV
その出来事があったのと同じ日、カルナータカ州の病院の前では、3歳の息子の亡骸を抱えた父親が、迎えのバイクを待って悲しげにたたずんでいた。ここでも病院側はなんの手助けもしなかった。
Udayveerさんは、遺体の運搬だけでなく、生前の息子に対する扱いでも、病院側を責めている。足の痛む息子を、救急車を使わず7km離れた村から、2回病院に連れて行った。にも関わらず、医者からは一瞥されただけですぐ帰され、ろくに治療してもらえなかった、というのである。州で最も評価の高い病院の一つである、イターワー公立病院での出来事だ。
そんなことが、日々繰り返されている。

牛のために5台の救急車と手術道具が用意され、救急スタッフも待機している。Source: NDTV
医療現場で人手も車両も不足している中、“牛の救急サービス”には、本来貧しい人々を助けるために使われるべき、NGOの資金が使われているという。

牛の救急車に貼られた Sanjay Rai氏の顔写真。Source: NDTV
団体の役員である Sanjay Rai氏は、資金がもっと集まれば、牛の救急車を増やして州全体に活動を広げたい、と言う。
Rai氏は、政府は後ろ盾にはなっているが、資金の援助は受けていない、と語りながらも、正確なお金の出どころについてはお茶を濁している。事務所では32人のボランティアがわずかな報酬をもらいながらフルタイムで働き、午前中だけで100本近い通報を受けて好調な滑り出しだ。
しかしながら、こんなものは力を注ぐべき方向性を間違えている、として、批判も高まっている。
【関連】牛。
カンボジアの未亡人が【夫の生まれ変わりの仔牛】と生活|南怪奇線
【関連】インド。
目から毎日【綿のような涙】があふれる、インドの少女|南怪奇線
「私の名前は、SIMカード!」「アンドロイド!」インドの村で子供に変な名前をつける風習|南怪奇線