
Source: EL PAIS
【EL PAIS】スペインの古都トレドから40kmのところにある村、エル・カルピオ・デ・タホ にて、馬で疾走しながらガチョウの首を引きちぎる、恒例の祭りが開催された。
2017年7月25日、木管楽器のオーケストラとドラムが静寂を破るなか、村のスペイン広場へとむかう行進がはじまった。
500人ほどの人々が、サンティアゴ会の騎手が来るのを今か今かと待ちわびていた。
これから喝采を浴びようとしている、軍人のジョゼ・アントニオ・セゴビア(53)も、そのメンバーの一人だ。
カラフルに飾られた馬に騎乗した男が、固唾を飲む観衆の前に姿をあらわすと、鋭い眼光で、足をロープで縛られて吊るされたガチョウに注目する。そして、そこめがけて20mほどギャロップ。騎手がガチョウをつかんで、みごと一発で首を引きちぎることができれば、賞賛の嵐が待っている。
それが人口2000人ほどの村で毎年行われる祭り、通称“ガチョウ・レース”だ。
それにしても、なんでこんなことになってしまったんだろう?
自治体の説明によると、この祭りは、かつて400年に渡ってこの街を守護してきた聖サンティアゴを祝福する祭りなのだという。サンティアゴ修道会の文書にその記述を見ることができるが、しかしおそらく実際の起源はもっと古く、中世の暗黒時代かもしれない、ともいう。

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祭りの日には、午前10時、午後1時、そして夜中の7時と、3回に渡って、ガチョウ・レースとは別に、馬術の神業を競うレースも開催される。その競技では2騎が横に並んで、騎手同士ががっちり肩をを組みあい、ぎりぎりまで接近したままどれだけ速く走れるか、を競いあう。
夜7時のレースが終わると、いよいよメインイベントであるガチョウの首切りだ。
村の通りに、スタッフが2つの大きな木の柱を6m間隔でならべ、その間に一本の太いロープを張る。そして、足を縛ったガチョウを吊るしあげる。

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通りぞいを埋める観客たちにざわめきが走り、みなの視線が一斉に最初の騎手に注がれる。ガチョウめがけて馬が疾走し、獲物を捕えた騎手が、その首をもぎ取ろうと奮闘する。
騎手は空にむけて高らかに投げキッスをして割れんばかりの声援にこたえる。村の楽隊が役場のバルコニーから晴れ晴れしく国家を演奏し、この大歓声にさらに華をそえる。
毎度のように動物愛護団体の怒りをかうこの慣習について、
「私たちにとって、この行事は伝統であり、村の誇りでもあります」とセゴビア氏は説明する。
今年は、ガチョウ・レースの廃止を求める熱心な動物愛護の活動家によって、webサイトを通じて集められた135,000もの署名が、カスティーリャ=ラ・マンチャ州政府に提出された。このような活動がつづけば、ガチョウ・レースもいつか、闘牛のように禁止されてしまうかもしれない。
しかし、注意しておきたいのは、
現在、競技に使われるガチョウはすでに死んでいる、ということだ。エル・カルピオの歴史の本によると、生きたガチョウの首を切ることは、1970年代にトレド市議会によってすでに禁止されているのである。
歴史をさかのぼれば、たしかに長い間、生きたガチョウがこの首切りレースに使われてきた時代があった。
古代ローマの剣闘士から闘牛の時代まで、乾いた砂の上に飛び散る血とともに“本物の死”が上演され、観客たちは異様な興奮に包まれていた。村の祭りは、そのころの生死のドラマと熱狂の残り香を今に伝えている。
「今では、ガチョウは前もって殺処理されているので、競技によって苦しむ心配はない、という理解は広まりつつあります。私の父もレーサーでした。息子や娘にも、将来参加してほしいです」と、参加者の男性は語る。

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9時近くなってくると、またスペイン広場で拍手があがる。ショーの終わりだ。騎手たちは清々しく、「みんなありがとう。来年も、少なくとも、今年と同じように楽しめればいいね」という。そうして家族の待つ家へと帰っていく、事を成し遂げて誇らしげな騎手たちの手に、21本のガチョウの首を残して。
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