(出典: BBC/culture)
解剖された美女「アナトミカル・ヴィーナス」
【BBC/Culture】腹から喉まで切り裂かれ、美しい裸体をさらすどころか、中身まで完全に露出してしまっている美女。この妖しげな蝋人形は、18世紀末フィレンツェで、解剖学の教材として作られたものだ。
(出典: BBC/culture)
豊かに波打つブロンドは、本物の人毛。ベネチアンガラスの目のまわりを縁取っているのも、本物のまつげというから驚きだ。その恍惚とした表情といい、金のティアラや真珠の首飾りといい、現代の理科室に置いてあるテカテカのプラスチックの人体模型とくらべると、臓器について学ぶには余計とも思える装飾が、かなり施されている。
ビロードの寝台に横たわる姿や、伏し目がちな表情が、妙に艶めかしい。
なぜ妖艶になった?─理由は性的嗜好ではない
モービット解剖学博物館(Morbid Anatomy Museum)の創立者で『The Anatomical Venus』の著者、ジョアンナ・エーベンシュタイン氏によると、こうしたエロティックな解剖用蝋人形は、決して、嗜虐的な性的嗜好によって生み出されたものではないと主張する。
Venerin(リトル・ヴィーナス)クレメンテ・スッシーニ作、1782年。ボローニャのポッジ宮殿博物館に展示するため、スペーコラの工房で製作された。(出典: BBC/culture)
まだ解剖学というものが始まったばかりだった当時、この学問をより多くの人々に広め、興味を持ってもらうためには、蝋人形を美しく作ることが大切だった、というのがその理由だ。グロテスクな死体では嫌悪感を持たれてしまうので、「死」を鑑賞にたえうる優美なものにする必要があったのだ。
美術も科学も宗教も、まだ未分化だった時代
レオナルド・ダ・ヴィンチによる胎児のスケッチ (出典: wikipedia)
もっと時代をさかのぼると、ルネサンス期の頃から芸術家たちはよりリアルな人物描写をするために、独自の人体解剖を行っていた。レオナルド・ダ・ヴィンチは、100体以上の遺体を解剖してスケッチしたといわれている。その時代、美術・科学・医学といった学問は、今のようにはっきりとは分類されていなかった。
さらにそこに宗教まで加われば、人体のについて知ることは、神の創造物について知ることであり、その見本となる教材も、「芸術的かつ神聖なものであって当然」、というわけだ。
初期のヴィーナス。リアルに再現できた秘密とは
最初のアナトミカル・ヴィーナスは、1780~82年に、クレメンテ・スッシーニ(Clemente Susini)によって作られた。作品はまだフィレンツェのスペーコラ美術館(La Specola)で見ることができるという。
スペーコラ美術館、フィレンツェ(出典: wikipedia)
スペーコラ美術館は、1790年、トスカーナ大公レオポルド2世によって公立科学博物館として創設されたが、メディチ家が長年ためこんできた貴重な収集品や、自身の所蔵する学術資料を、一般市民に開放して啓蒙するという狙いがあった。
メディチ家の莫大な財力で集められたコレクションと並んで展示される「解剖学の女神」が、見劣りするようなものであってはならない。
博物館の公開に向けて製作される蝋人形は、当時の美術・医学の最先端の知識を総動員して、神の創造物である人間の姿を理想的に表現したもの──
つまり、「臓器の一つ一つまで完璧に美しい究極の美女」でなければならなかったのだ。
1784~88年に、スペーコラの工房で製作された等身大の人形。ローズウッドとヴェネチアンガラス製のオリジナルケースに入れられて、 現在はウィーンのジョセフィニウム博物館に展示されている。(出典: BBC/culture)
スペーコラの工房で製作された初期の解剖蝋人形の多くは、近くにあるサンタ・マリア・ノヴェッラ病院から運び込まれてきた新鮮な死体をモデルにしていたので、現在でも正確で学術的価値が高いという。
ボローニャ大学付属、ポッジ宮殿博物館。壁画やショーケースまで重厚で美しく、知の殿堂といった威厳のある館内。(出典: Museo di Palazzo Poggi)
臓器の一つ一つまで完璧に美しい究極の美女たち
ヨーロッパには、科学が今より芸術や宗教と深く結びついていた時代に作られた「アナトミカル・ヴィーナス」がたくさん残っている。フィレンツェやウィーンなど様々な国の古都にある医学博物館では、皮を剥がれた筋肉や胎児の模型に囲まれて、これ以上ないくらい開け放たれた官能的な裸体を披露している。
(出典: josephinum)
そして、作られてから200年以上たった今なお、死とエロスが隣りあった異様な優美さで、見るものを解剖学の世界へと誘惑している。
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【注意!】この猫人形は全て《本物の猫》でできています