
プログラムの先駆者が発見した小さな虫
コンピューターの挙動に厄介な不具合を起こす「バグ」。今ではプログラムのミスを指す用語だが、実は世界で一番最初のバグは、本物の虫(Bug)だった、ということはあまり知られていない。
1947年9月9日、ハーバード大学の誇る電気機械式計算機「マークⅡ」は、突然の不具合に見舞われた。

アメリカ初の電子計算機「マークI」の後続機として作られた「マークⅡ」は、今のようなPCとはかなり様相が違っていた。


壁一面を覆いつくすほど巨大で、データを入力するには、複数のスイッチを手動で動かさねばならない。

穴の空いたテープから命令を読み取るようになっていて、命令が長ければ長いほどテープも長くなるという、アナログな仕組みだ。
「リレー」と呼ばれる電磁石を使ったスイッチの接点に、電流が流れるか流れないかを電気回路のON/OFFに当てはめて計算していたため、「リレー式コンピューター」とも呼ばれている。
「マークⅡ」には、1万3000個ものリレー、km単位におよぶ長さの電線、無数の小さな歯車やスイッチが内蔵されており、重さは23トンもあった。作動すれば、大量のタイプライターを一斉に打ち鳴らしたような騒音をたてる。
そんな巨大マシンのどこかに、欠陥があるのだ。
開発チームの一員で、アメリカ海軍から派遣されていたプログラマーだったグレース・ホッパーは、膨大な部品をもつ機械の中を探し回ったあげく、やっと原因を突き止めた。
それは、リレーに挟まった一匹の蛾だった。この虫のせいで、接触不良を起こしたのだ。

ホッパーは、ちっぽけな虫一匹に煩わされたことに、イラだったのだろうか。その日の日誌には、こう書き記されている。
「15:45 リレー#70 パネルFのところに挟まっていた。実際に虫が入った最初の例」
それから問題の蛾を、テープでベタッと日誌に貼りつけてしまった。

グレース・ホッパーは、アメリカ海軍初の女性将官としても知られている、コンピュータープログラムの先駆者だ。のちに、それまでの機械語より、より英語に近いプログラミング言語「COBOL」を開発し、現在のプログラム言語の基礎を築いた。
そんな彼女が、莫大な費用のかかった最新式のマシンが、たった一匹の虫のせいで止まってしまったことについてよく語り草にしたため、コンピューターに動作不良があった際「“バグ”がある」と言うようになったという。

現在では、その虫の貼りつけられた日誌は、「バグ」の歴史的第一号として、ワシントンD.Cのナショナル・ミュージアム・オブ・アメリカン・ヒストリー(スミソニアン博物館)に収蔵されている。
「マークⅠ」を紹介した古い映像
黎明期のコンピューターと開発者たち
開発当初のコンピューターはとても巨大だったことがわかる。そのレトロ・フューチャーな外観を眺めていると、当時の人々が思い描いていた未来観や、エンジニアの熱意が伝わってきて、古めかしいのに、かえって未来的なロマンを掻き立てられる。


こうしたコンピューターの発展に支えられるように、「マークⅡ」の10年後には、ソ連が人類初の人工衛星「スプートニク」を打ち上げ、さらに1960年代には初の有人宇宙飛行を達成、アメリカではアポロ11号が月面に着陸した。
70年代に入ると、NASAは探査機ボイジャーに「人類を自己紹介する情報(ゴールデンレコード)」を搭載して、未知の知的生命体が受け取ったときコンタクトをとれるよう、宇宙空間にはなった。それはまだ返信こそ返って来ていないものの、遠い宇宙のどこかを漂っている。壮大な、ボトルメッセージだ。
現代の技術は、当時よりも遥かに進んではいる。しかし、かつて想像されていた未来世界の広大さ、そこへ突き進んでいく熱量は、今以上だったのではないだろうか。
人類は、何もない荒地の月に着陸するよりも、もっと地に足のついたことに金と労力を費やすことを学んだ。
だがいつの日か、私たちの技術が今感じている限界を突破したとき、未来はさらに広大で、無限の可能性をはらんだものになるだろう。
■マークⅡ(MarkⅡ)
1947年、「マークⅠ」の製作者、ハワード・エイキンの指揮のもと、ハーバード大学内で製作されて完成。アメリカ海軍が出資した。足し算の速さは0.125秒、掛け算の速さは0.75秒。先代のマークⅠよりも、足し算は2.6秒速く、掛け算は8秒も速かった。 (別名: Aiken Relay Calculator エイキンのリレー式コンピューター。マークⅠ・Ⅱともに、グレース・ホッパーが、プログラム製作に関わっている)
◼️独特のレトロな未来感がある Boards of Canada のMV『Music Is Math』
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