【2つの心臓を持つ男】心は頭にあるのか?胸にあるのか?

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もし心臓を2つ持っていたら? 1つ刺されても死なないだろうか?

たぶんそんなことはないだろうけれど、カルロス(仮名)はある日、心臓の疾患のために、もう1つ新しい心臓を持つことを余儀なくされた。弱っている心臓にかかる負担を軽くするために、もともとの心臓を残したまま、小さな機械のポンプを腹に入れることになったのだ。

今ではお腹の中から、トクン、トクンと小さな拍動を感じる。この“第2の心臓”は彼の命綱になっているわけだが、カルロスはどうにもその感覚が好きになれない。

BBC】機械のビートに、自分自身の拍動がのっとられているような感じがするのだ。装置の作る鼓動をへその上あたりに感じるたびに、胸が腹の中に落ちてしまったようなぞっとする感覚に襲われる。

それは想像するだけで、奇妙で、気が変になりそうな感覚だ。

だがブエノスアイレスの神経学者アウグスティン・イバニェスは、実際にカルロスと会ってみて、単に嫌な感じ、以上におかしなことが彼の身に起こっているのではないか、と気づいた。心臓を変えたことによって、彼の意識までもが、変わってしまったように思えたのだ。カルロスは移植の結果、感じ方も行動も、以前とは変わってしまったようなのだ。

心は頭にあるのか? 胸にあるのか?

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長い歴史の中で、世界中の様々な文化において、心と心臓(ハート)は深く結びつけられてきた。

今ではその役割が脳みそにとって代わられることも多いけれども。真っ赤で激しく鼓動する心臓と比べると、脳みそはひんやりとした灰色の、静止した物体だ。古代ギリシャのアリストテレスはそんな佇まいを見たからなのか、「脳は、心臓から噴出してくる激情を、冷却する器官である」と考えていたらしい。

心臓こそ魂の宿る場所である、という考え方は古代エジプトにもあり、彼らはミイラを作る際、心臓は慎重に胸の中に残したが、頭蓋骨の中には詰め物をしただけだったという。

今では科学によって、人間の精神活動は脳で行われていて、「心臓=心」というのは文学的表現として扱われてしまうことが多いが、19世紀には、「人間の意識は脳内だけにとどまらず、体と脳の間の絶え間ないフィードバックによって成り立っている」という、独特の見方をする説もあらわれた。現代心理学の祖、ウィリアム・ジェームスによると、脳は生命の脅威となるものを知的に記録する器官になりうる。しかしそれはあくまでも、私たちが身をもって感じている──心臓が早鐘を打ち、手に汗を握ったり、鳥肌が立つ──理屈抜きで体全体に走る言いようない感覚が、記録として変換されたものに過ぎない。

これはとても興味深い考えだ。それと同時にひとつ、疑問も湧いてくる。

それじゃあ、人はそれぞれ違う体を持っているのだから、体から脳へ送られるフィードバックも人によって違うはずである。背の高い人、低い人、太った人、痩せた人、黒人、白人、アジア人──そういった私たちの体の形の違いが、私たちの感情まで形作ってしまうのか?

今まさに、2つの心臓を持つカルロスのケースが、その難問に取り組む糸口になろうとしている。

自分の体の内側の感覚に敏感な人、鈍感な人

科学者たちの実験の第1段階。

被験者たちはまず、自らの感覚のみをたよりに、自分自身の心臓の鼓動を数える。このとき胸に手を当てたり、手首で脈をとったりしてはいけない。

実際に試してみると、とても難しいことがわかるだろう。だいたい4人のうち1人はかなり的外れな計測をしてしまい、自分の体の内部の動きをほとんど感知することができていない。そしてまた、80%ほどの正解率だす人も、1人くらいはいるという。

そのことを確かめたうえで、研究者たちは、被験者たちに様々な課題をあたえた。

その結果わかったのは、

体の感覚に敏感に気づける人は、感情に訴えかける画像を見せられた時のリアクションも、より大きい、ということだ。

またそういう人々は、そのとき自分が感じたことをより的確に人に伝えることができ、他者の感情も表情などから敏感に感じとる。

さらには微弱な電気ショックの仕掛けを回避するなど、危険を避ける方法を学ぶのも早かった。これはおそらく、体への刺激がより強く記憶されることで、直感的な嫌悪感が植えつけられるためかと思われる。

カルフォルニア大学のダニエラ・ファーマンは、

「これは、私たちが普段何気なくしている決断──ぶらぶら散歩しながらどっちの道を歩くか選んだり、目の前のものを瞬時に、心地良く感じたり、不快に感じたりする、といったこと──が、どんな風に行われているか知る手掛かりになるかもしれません」という。

自分の体とうまく調和している人は、より豊かで、より刺激的な精神生活を送っている、とも言えるだろう──最高の天国も、最低の地獄もひっくるめて。

「人が喜びを経験するとき、生物学的に説明しようとしても説明しきれないことがあります。でも現実に私たちはそういう出来事に直面したとき、瞬時になにかを≪感じて≫いるのです」

私たちの直感の裏には、自分では気づかないような体の感覚が隠れている

トランプを使った優雅な実験も行われた。エクセター大学(イギリス)のバーニー・ダンは、4枚のトランプをならべ、最初にひっくりかえしたカードと同じ色のカードを引き当てたら、勝ってお金をもらえる、という賭けをした。赤と黒が2枚ずつ、それは変わらない。

すると、心臓の鼓動を正確に数えられた人たちは、慎重にカードを選びはじめた。一方、自分の体に鈍感だった人たちは、適当にひっくりかえした。

慎重に選んだほうが勝率が高かった、というわけではない。特徴的だったのは、一方は自分の直感を働かせようと努力し、もう一方はしなかったということだ。

良くも悪くも、感情豊かな人は、直感に突き動かされやすいようである。

機械の心臓に、生身の人間が適応したとき、起こること

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以上のことを踏まえ、

2つの心臓を持つ男、カルロスには、一体どんな変化が起こったのだろうか?

たとえば、カルロスは自分の心臓の鼓動よりも、機械の心臓の刻むリズムを、はっきりと弾きだすことができる。

彼の第2の心臓はへその上あたりにあるので、身体感覚的には、胸の領域が拡張したように感じられる。

だがなんといっても決定的に変わってしまったこと、

それは、感情や、人とのかかわりに関することだった。

たとえば、カルロスに人が苦しんでいるような悲惨な事故の写真を見せてみる。

すると、彼には共感性の欠如のようなものが見てとれる。

まるで『ブレード・ランナー』のレプリカント・テストが現実になってしまったような話である。

他にも日常に支障をきたすような数々の問題も持ちあがる。カルロスにとっては、他人の意図をくみとることも、直感的に判断することも、もはや困難なこととなってしまった。

それらの問題はみな、身体と意識の関係を探る数々の実験の中で、論じられてきたことだ。

「これはとても興味深い、とても好奇心をそそる研究だ」と、さきほどトランプで賭け実験をしていたダン博士は言う。

ゴースト・NOT・イン・ザ・シェル

不幸にも、カルロスは予後が悪かったために亡くなってしまった。

だが生前彼と会っていた神経学者イバニェス氏は、彼の遺産となった貴重な研究を、ほかの患者へとつなげていく希望があるという。

イバニェス氏は現在、心臓移植を受けた人々とともに、新たな心臓が内受容感覚(心拍、空腹など自身の体の内部の感覚)にどんな影響をあたえるか、実験をすすめている。

手術によって脳と身体をつなぐ迷走神経がダメージを受けたことで、本来心臓から脳へ送られるべきシグナルが、欠損しているかもしれない。それが意識に影響することだってありえるのだ。

また心臓科からいったん離れ、イバニェス氏は離人症と呼ばれる病気にも、同じような体と脳のリンクの不具合が見られないか調べているところだ。離人症とは、自分が自分の心や体から離れていったり、自分が自身の観察者になっているように感じる状態で、まるで自分自身が自分の体の中にいるとは思えないような感覚に陥ってしまうのだという。

「死んでるみたいな気分です。自分の体は空っぽだと思います。命のない抜け殻ですよ」と、ある患者は語る。「目の前に世界がある、ということはわかるけど、それを感じることはできない。そんな世界を歩いているような感じです」

脳スキャンの結果、イバニェス氏は彼らの内受容感覚が乏しいことをつきとめた。

身体感覚、情動、認識、共感、決断──つまりは自分自身の感覚に深く関わっている、脳の島皮質に、伝達の不具合が見受けられたのだ。

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一方、ダン氏はうつ病との関連に興味を寄せている。彼は臨床心理士でもある。

「今のところ、セラピーには≪頭≫を使ってばかりです。私たちは患者が感情的に固執しつづけている考えを、変えようと試みます。しかし、壁にぶち当たってばかりです。患者たちは『頭ではわかっているけど、心ではその通りに感じられないんだ』と言うのです」

セラピーでポジティブ・シンキングの訓練を積んだとしても、患者たちはまだ、喜びを感じるために悪戦苦闘している。こうした問題は、もしかしたら内受容感覚の乏しさから起こるのかもしれない、とダン氏は考えている。

たとえば、公園を散歩しているとき、心身ともに健康なら、気分をリラックスさせてくれる様々な清々しいフィードバックを体から受けとれるだろう。でもうつ患者は、公園を散歩しても、そんな感覚を経験しているようには見えない。そして帰ってくると、「単調で空っぽだった」と言うのである。

この文脈にそって、ダニエラ・ファーマン氏は、うつ病の人々は自分の心臓の鼓動を感じにくいことを発見した。ただしそれは、具体的な悩み事が原因になっている場合などは除いて、だ。自分の体に対して鈍感になっていることは、ささやかな日々の暮らしから喜びを得にくい原因の一つにはなっているかもしれない。が、それだけがうつ病の原因ではない、ということは留意しておきたい。

頭脳と心臓をつなぐ

どうして自分の体に対して鈍感になってしまう人々がいるのかははっきりしない。

しかしここで私見をつけ加えるなら、現代人の日常生活には、自分の情動を押しつぶさなければならない瞬間がたくさんある。朝眠くてやる気が起きなくても仕事や学校に行くし、魅力的な異性とすれ違って胸が躍っても、半裸で走っていっていきなり求愛してはいけない。スケジュールは時計で決まっていて、自分の体が訴える自然な感覚、空腹や疲労にあわせて、タイミングを決められるとは限らない。だから自分の内側から訴えかけてくる感覚に、努力して NOと言う。楽しくもないのに笑い、怒りたいときに怒ってはならず、涙はこらえる。そんな生活をつづければ、自分の感覚が大切なものだとは思えなくなり、やがて足を引っ張る厄介者のように押し殺してしまうだろう。そうなれば、自分が今本当はなにを感じているのか? なにを考えているのか? わからなくなってしまったとしても、不思議ではない。

もし人前で話すたびに緊張してドキドキしてしまうのが嫌なら、機械の心臓を入れてみれば、機械のように冷静でいられるかもしれない。でも、そうじゃないからおもしろい。やろうとしてもボロが出て、苦笑いするから、愛らしい。

ダン氏は感覚が鈍磨してしまった人々でも、訓練すれば、健全な感性はいくらでも取り戻せるという。今注目されている“マインドフルネス”のセラピーでは、患者たちが体の内から湧き上がってくる生き生きとした感覚を、取り戻すよう働きかける。時には心地良さだけでなく、ありのままの不快な感情とも、過剰反応することなく向きあえるよう特訓する。そのうち、体全体で自分自身の気持ちを感じ、行動できるようになるだろう。

どうしたいかは、ハートに聞いてみればいい。