【テキサス】殺人鬼を追い払うために建てられた鉄塔【ムーンライト・タワー】

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テキサスといえば、『テキサス・チェーンソー』。太陽が照りつける無人の荒野で、レザーマスクをかぶった大男が、チェーンソーをバリバリいわせて追いかけてくる。でも現実のテキサスを襲った連続殺人鬼は、夜の闇に紛れて、住民たちが家で寝息を立てているすぐそばに、静かに忍び寄ってきた。この“ムーンライト・タワー”は、そんな殺人鬼が身を隠す闇夜を消すために建てられた、世にも珍しい鉄塔だ。

家のベッドで襲われる

1884年から翌年にかけて、テキサス州オースティンの街は、“サーバント・ガール・アニヒレーター(Servant Girl Annihilator「召使いの少女を滅する者」の意)”と呼ばれる、使用人ばかりねらう連続殺人鬼におびやかされていた。恐ろしいことに、犯人は夜道で襲うのではなく、家のベッドで安心して眠っている女性たちを襲い、外に引きずり出してから殺害していた。テキサス・マンスリー誌によれば、殺された5人のうち3人はバラバラに切り刻まれていたという。そのほかにも男性が1人殺され、一命をとりとめた負傷者も数名いた。

被害者がいずれも黒人だったことから、地元紙は公然と黒人コミュニティーへ疑惑をあおったが、1885年のクリスマス・イブに事態は一変する。

白人女性が2人、夫のいる自宅で就寝中に殺されたのだ。

最後の犠牲者、ユーラ・フィリップス(17)は、儚なげな、美しい女性だった。ベッドからは引きずられた血痕がつづいていて、たどっていくと、自宅の裏の暗い小道に、裸の遺体が仰向けになっていた。黒っぽい豊かな巻き毛をのばした頭は、斧で割られていた。レイプされていて、まるでそのあいだ動かないようにするかのように、両腕を木材で地面に杭打たれていた。

現場に駆けつけたフォート・ワース・ガゼット紙の記者によると、その顔は「上を向いてぼんやりと月明りに照らされて、死んた後も消えることのない苦悶の表情を浮かべていた」

「殺人鬼の匂いを追う警察犬が、クリスマスの聖歌が響く穏やかな日常に突っこんでいく。ぞっとする光景だ」
-Austin Statesman 1885年、クリスマス。

オースティンの深い闇

1885年のオースティンの人口は、2万3000人ほど。日が沈んでしまうと、街は本当にまっ暗だった。ほかの都市では、政府が発電所を作ったり、個人で家に発電機を設置したり、と電化が進むなか、オースティンではいまだにロウソクやオイルランプの灯りに頼るのが普通のことだったのだ。

白人女性が殺された直後の号外。Statesman紙の売り子が、大通りで見出しを読みあげた。「血だ!血だ!血だ! 昨夜の恐ろしい虐殺」。護身用の銃を買い求める客で、ガンショップに行列ができたという。ちなみに、“サーバント・ガール・アニヒレーター”という通り名を考えたのは、当時オースティンに住んでいた作家 オー・ヘンリーだった。 Source: Texas Monthly

本来なら楽しいはずのクリスマス当日、パニックに陥る市民たちを殺人鬼から守るべく、知識人や有力者を集めた緊急会議が開かれた。警察官のパトロールを増やすとともに、巨大なムーンライト・タワーの設置が計画された。

その当時、似たような照明塔がデトロイトですでに実用化されていた。オースティン市は、さっそくデトロイトから中古の照明塔を 31基買い取った。鉄塔の高さは、50m。半径 460m まで、監視するのに充分な明るさである。

一方、肝心の犯人捜しは、思わぬ方向に進んでいった。クリスマス・イブに殺害された白人女性の夫2人が容疑者として逮捕され、はじめは裁判にかけられたユーラ・フィリップスの夫、ジミー・フィリップス(23)の動向が人々の注目の的だった。

ジミーは酒飲みで、日常的に妻に暴力をふるっていた。家族は、彼が妻にコーヒーカップを投げつけたり、逆上してナイフを手に追いかけまわしたこともあった、と証言している。しかし、裁判が進むにつれ、ユーラにも隠れた顔があったことがわかってきた。

不幸な結婚をした彼女は、メイ・トビンの“密会の館” と呼ばれる、いかがわしい館に出入りするようになっていた。そこは表向きつつましいホテルのように見えたが、たがいに既婚の男女などが密会して1、2時間過ごす場所で、とくに社会的地位の高い男性たちの、秘密の歓楽の場になっていた。館長のトビンによると、ユーラはクリスマス・イブの晩も館に来ていた。そしてその夜、殺されたのだ。

オースティンの街の名士の名前が、怪しい享楽の館の顧客として、ぞろぞろあがってきた。

こうして思いがけず、オースティンの街の暗部が暴かれたところで、2人の夫は釈放された。

ダラス・モーニング・ニュースはこう報じた。「フィリップス氏への裁判は3つのことを証明した:フィリップス夫人は、人妻としてしかるべき人物ではなかったこと。何人かの政府の役人も、しかるべき人物ではなかったこと。そして、だれも殺人を実行したのがだれなのかわからない、ということだ」

奇妙なことに、クリスマス・イブの夜以来、殺人はピタリと止まった。

人口の月明りに照らされて

ムーンライト・タワーの右後ろに、テキサス州会議事堂の丸屋根が見える。1954年5月3日。Source: The Portal to Texas History

デトロイトから買い取ったタワーは結局、連続殺人がおさまってしばらくたつまで、実際に設置されることはなかった。ムーンライト・タワーが街角に設置されたのは、事件から10年もたった1894年のこと。はじめて明かりがともされたのは、翌年1895年の5月3日に行われた祝賀行事のときだった。

夜明るくなったら、植物の生育に悪影響があるのでは? 動物が眠れなくなるのでは? というはじめの心配にすぐになくなり、タワーは街のシンボルとして定着していった。

もともとは塔の内部にはアークライトの整備に使う手動のエレベーターがあった。このアークライトは放電の影響で近よった鳥が死ぬことがあったらしい。そのため1920年代に、アークライトは白熱球に交換され、1930年代には水銀灯に交換された。1940年代、第2次大戦中になると、空襲の危険があるときに一度に消灯できるよう、マスタースイッチが設置された。

100周年記念を迎えた1993年には、130万ドル(約1億3000万円)もの資金を投じられて大規模な修復工事が行われた。それほど大事なものなのだ。

テキサス州会議事堂とムーンライト・タワー、2009年。Source: Wikimedia

現在タワーは 17基残っていて、電気の光ですっかり明るくなったオースティンの街を照らしつづけている。かつてはこうした照明塔はほかの街にもあったが、アメリカで今でも残っているのは、ここオースティンだけだ。国の歴史的遺産に登録されて、映画にも登場し、すっかり街の風景の一部になっている。

ジルカー公園にあるムーンライト・タワーは、毎年クリスマスになると、ライトアップによって“世界一大きなクリスマスツリー”に変身するという。

殺人鬼は捕まらないままだった。

でも、100年以上たったクリスマスの楽しい夜、殺人鬼の襲来に怯える人は、もうそんなにいないだろう。

参考サイト:Texas Monthly-Capital Murder
Atlas Obsucura-Austin Moonlight Towers
Wikipedea-Servant Girl Annihilator
AUSTIN MOONLIGHT
The Portal to Texas History

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