2500年前のツイッター。口笛で会話するギリシャの村。エヴィア島 アンティア

残り37人の村人の一人。山頂からはエーゲ海と、風力発電の風車が見える。 Source: BBC

BBC / PBS NEWSHOUR

エーゲ海に浮かぶギリシャの島、エヴィア島。その華やかなリゾート地とは遠くはなれた山岳地帯にある アンティア村の人たちは 2500年もの間、驚異的な言語で会話してきた。

それは鳥のさえずりに似た、口笛だけで構成された言語だ。

村は迷路のような峡谷を刻む山々の一つ、オチ山の斜面にある。40 km以内には、ホテルもレストランもない。グーグルマップにすら表示されない、忘れ去られたような村である。

山の上で畑仕事やヤギの放牧をしてきた村人たちは、谷を挟んだ遠く離れた相手と話すためにこの口笛を使ってきた。

驚くべきことに、口笛言語は簡単な合図にだけ使われるのではない。村人たちは、普段の会話とまったく同じように、複雑な会話をすべて口笛だけで済ますことができる。

(村人たちが口笛だけで PBS NEWSHOUR の取材に答える。口笛だけでトランプ大統領についての政治談議までできる。)

谷に向けて口笛を吹くヤニス・アポストロさん(45) Source: PBS

だれかが舌を下の歯に押しつけるようにして鋭い口笛を吹くと、すぐに遠くから口笛が返ってくる。ヤギのベルがカラコロと鳴るのどかな谷間に、細かな抑揚と音節があるメロディーが響き渡る。谷の向こうにいる友人に、何気ないことをツイートしたり、ランチに誘うのに、わざわざ大変な思いをして山を上り下りしなくても、口笛を吹けばいい。村人たちは紀元前から、SNS顔負けのワイアレスなやりとりをしてきた。

アンティア村の口笛言語は“sfyria”と呼ばれ、ギリシャ語の“sfyrizo”(「口笛」という意味)からきていると思われる。でも確かそうなのはそれだけで、一体いつから、どうやって、この村で sfyria が話されるようになったのかは、だれにもわからない。

Source: PBS

ある村人は、今から2500年前、サラミスの海戦で負けたペルシャ人が山に逃げこみ、敵のアテネ人に気づかれずに話せるように考えた、と言う。またある人は、それより後のビザンツ時代に海賊や敵対する村との交渉のために発達したのだ、と言う。さらには、東方の帝国からの侵略にそなえ、古代アテネの人々が村人を見張りに立たせて口笛で警報を出せるようにした、と言う人さえいる。

Source: BBC

この言語が外の世界の人々に知られるようになったのは、その壮大な歴史にくらべたら、ごく最近のことだ。1969年、アンティアの近くの山に飛行機が墜落し、行方不明になったパイロットを探しに来た捜索隊が、偶然奇妙な音色を耳にしたのだ。どこかのヤギ飼いが発していた、鋭く複雑に調子を変える意味ありげな口笛に、捜索隊は度肝を抜かれた。

ギリシャの言語学者 ディミトラ・ヘンゲンによると、文法的にはギリシャ語の口笛バージョンだという。ただし普通に話すときの声とは音の周波が違うため、谷を挟んだ4km先でもはっきり聞き取ることができる。だいたい、叫び声の 10倍は遠くまで届くという。

2000年以上もの間、このメロディーを奏で、理解することができたのは、ヤギ飼いや、山腹で畑仕事をする村の農民たちだけだった。村人たちはこの秘伝の音色を、村の誇りとして、代々子供たちに受け継いできた。

しかしここ数十年間で、村の人口は 250人 から 37人まで激減してしまった。高齢になった吹き手の多くは、歯が抜けて口笛言語特有の鋭い音色を出すことができない。今では、この音色を吹きこなし、理解できる村人は、たった6人だけだ。

Zografio Kalogirouさん(70) Source: BBC

「子供のころ、夜中に布団を頭までかぶって練習したものよ」とZografio Kalogirouさん(70)は言う。「歯が全部あったときは、山の向こうまで口笛を響かせることができて、誇らしかったんだけどね。今できるのは食べることだけ、恥ずかしいわ」

村に道路や、水道や、電気が、やってきたのは、たった 30年前のことだった。はじめて電話がやってきたのは 1965年、それまではだれもが口笛で隣人とやりとりをするのが当たり前だった。同じころ、村の若者たちは勉強や仕事のために、次々と村から出ていってしまった。村には打ち捨てられた空き家がたくさんあり、置き去りにされた鶏が闊歩している。

アンティア村の住人たち。 Source: BBC

村で唯一の茶屋の女将のケファラスさんは、口笛にまつわる童話のような恋の話も聞かせてくれた。

「ある夜、一人の男が羊の放牧の途中で雪に降られた。彼は口笛の音のおかげで、今どこか山の奥深くで、アンティア村の美しい少女がヤギの放牧をしているのを知っていた。そこで彼は洞穴を見つけ、火を起こした。そして『暖まりに来なよ』と口笛で呼びかけた。少女はやってきて、2人は恋に落ちた。これは私の両親の話です」

現在世界中で 70もの口笛言語が確認されている。ほとんどすべてが、アンティアのような隔絶された山岳の村だ。アンティアの口笛言語は、とりわけ古く、文法が複雑なうえ、ユネスコの絶滅の危険がある言語のなかでも、もっとも絶滅の危機に近い。

2010年、村一番の口笛吹きであるパニヨティス・ザナバリス(69)さんは、消えゆく村の伝統を守るため、廃校になった村の学校の一室で、アンティアの文化を守る組織を立ち上げた。これまで村の中で堅く守られてきた口笛の妙技を、外からやってきた人々にも教えようというのだ。そのかいあって、若い世代が少しずつ育ちつつある。

2016年には、アンティア村のドキュメンタリーが製作され、それがニューヨークのメトロポリタン美術館で上映されて、観客を驚かせた。現在ザナバリスさんは資金不足に直面していて後援者を探しているが、ギリシャ政府は財政危機で解決すべき問題が山済みで、山奥で消えかけている言語には関心がない。こうした独特の文化に興味をもってくれるのは、むしろ外国人のほうだという。

ザナバリスさんは BBCに語る。「何年もの間、村人たちは消えゆく言語について語りあってきました。でも、みなさんの協力があれば、難を逃れて生き残った言葉について話すことができるでしょう」

何世代ものつぶやきがこだましてきた谷間に、人々をつないできた音色が響く。

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