
日本のお盆では死者の霊が墓から帰ってくるが、マダガスカルでは死者は遺体ごと帰ってくる。生きている家族と愉快に踊って、ともに語らい、子孫たちに祝福を与えるためだ。
ファマディハナ(Famidihana)は、数年に一度、埋葬された遺体を墓から取り出して、新しい布で巻きなおして踊る、熱狂的なお祭りだ。楽隊が呼ばれて、ごちそうが振る舞われ、遠方の親族が集まる機会にもなっている。
アフリカ大陸の東南にある島国、マダガスカルでは、一般にキリスト教が信仰されているが、土着の先祖信仰と混じりあっているため、独特の生死観がある。
死者は死んでもすぐ天国や地獄にはいかず、遺体が完全に朽ちてなくなるまでその地にとどまる。そして、生前と変わらず愛する者たちと再会する日を、心待ちにしているのだ。
もとは高地のメリナ民族の間で行われていた風習だが、今では首都アンタナナリボの近郊を含め、島中に広がっている。歴史家のマヘリ・アンドリアナハグによれば「この国で最も普及している儀式の一つ」であり、「先祖を祝福したい、いつの日か先祖が戻って来られるように敬いたいという人々の気持ちを満足させる」という。
祭りは、北半球のマダガスカルでは冬にあたる7〜9月に、3日間ほどかけて盛大に行われる。
以下は、2017年10月22日に高地の村で行われたファマディハナの様子だ。

遺体は霊廟に安置されていることもあれば、土の中から直接掘り起こされることもある。スコップで掘っている男たちの周りでは、人々がクラブで踊るような軽いステップを踏み、早くも陽気なお祭りムードが流れる。

いよいよ遺体が現れると、再会を喜ぶかのように一斉に手が差し伸べられた。布の一部がめくられて、中の遺体に直接触れている。



乾燥した大地が見渡せる丘の上の会場では、無数の旗がひらめき、正装した楽隊が吹くトランペットが晴れ晴れしく響き渡る。

会場から墓地まで移動した後も、しばらくは生きている人のみの伝統舞踊がつづく。


墓から連れ出された遺体は、「ランバメーナ」と呼ばれる白い布にきつく包まれており、驚くほど細い棒のようになっている。ここまで細くなってしまうと、生々しさは感じられない。
おみこしさながらに担ぎながら踊る姿は、笑顔で楽しそうだ。
この「ランバメーナ」は蚕の繭から織られた大変高価なものだ。自分の生活よりも、祭りのために財産を注ぎ込む人も多いという。先祖は子孫たちに恩恵をもたらしてくれると信じられているため、とても大切に扱うのだ。

人々が縦にして持っているゴザのようなものは、ランバメーナを新しく巻き直すときに下に敷くマットだ。このマットを持ち帰って、寝るときに下に敷くと、子宝に恵まれる、と信じられていることもあるそうだ。
マットを持った人も、故人の写真のプラカードを掲げた人も、一緒になって踊り、祭りのボルテージはさらに上がっていく。



最初から最後まで、陽気なお祭りムードに包まれたまま、遺体は墓に帰っていった。
「墓から掘り出した遺体と踊る」とだけ聞くとショッキングだが、実際の祭りの様子から漂ってくるのは、意外にものんびりとした雰囲気だ。
しかしながら、保健省は、ファマディハナが行われる時期と肺ペストの流行する時期が重なることを確認しており、とりわけ遺体を巻いたあと持ち帰るゴザが、ペスト感染の温床になっている、と警鐘を鳴らしている。
それでも、地元の人々は構わず、この改葬儀式をつづけているという。毎年ファマディハナに参加してもペストに感染しない人も多くいる、ということもまた事実だからだ。
そもそも、ファマディハナのような、生前と死後の境があいまいな世界では、死後も第二の人生が続くのだから、死に対する感じ方そのものも、根本的に違っていたとしてもなんら不思議ではない。
死んで遺体になっても、その人はただ在り方が変わっただけで、いなくなるわけではない。たとえ自分が死ぬ番になったとしても、家族たちが祭りを続けてくれている限り、その人の存在は不滅なのだ。
──そんな人々にとって、肺ペストや死よりも怖いこととは、何だろうか?
それはもしかしたら、「自分の存在が不滅ではなくなり、いろいろあっても楽しいこの世や、愛する人と、永久にお別れすること」なのかもしれない。
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